2017年4月30日 (日)

京都点描

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写真は京都。送電線の終点・始発と、「ヤセ桜」と僕が名付けたサクラの木。




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京都の三条東洞院にある中京郵便局のポスト。


いいのよ
いいのよ、ほっといて!
みんなアタシがわるいのよ
電信バシラが高いのも、郵便ポストが赤いのも
みんなアタシが悪いのよ

チックタックがハンカチくわえて身体をくねらせて言っていたギャグだと思うけど? 

いんじゃな〜い?ヽ(´▽`)/


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この下に立つと、吸い込まれて謎の遊星 X に連れてかれて生体実験されちゃう、な、雰囲気を持ったパチンコ屋さん。




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いつも柵がしまってるけど、出入りに使ってるのかな、って余計なお世話でした。

犬矢来、って京都だけなのかな?




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フォクトレンダー ヴィトマチック III b フジ業務用100
voigtlander vitomaticIIIb fuji100


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2017年4月29日 (土)

どこにでも・何にでも

 
どこにでも、何にでも、いつでも楽しいことはあると思っています。


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豚バラ肉をとろとろになるまで煮たり、蒸したり、焼いたり、壺に入れたり入れなかったりで、甘辛く味付けしてあるもの。

その料理の方法のバリュエーションは多いけど、要するに中華風豚バラ肉の角煮です。「トンポーロー」っていう名前がついています。

トンポーロー、僕が大好きな中華料理なんですよ。漢字で「
東坡肉」って書きます。

由来は、蘇東坡。



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蘇東坡・蘇軾は四川の人。宋代の高官であり詩人です。

政争に勝ったり負けたりの挙句、晩年には、親友でもある政敵によって、北宋の首都・開封から遥か南の広東は恵州に追いやられ、さらに数年後は、海南島に流されてしまいます。

蘇軾が50代後半から60代にかけてのこと。


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蘇軾の詩には、明るく屈託のないユーモアがあります。
...ユーモアって外国語でやだな。いや、もう日本語か。

蘇軾は左遷された先でも明るさを失わず、詩作を続けるとともに、そこでの仕事や生活を、そして大好きな豚肉料理を楽しみました。

豚バラ肉のトロトロ角煮を、蘇軾があんまり好んで食べた
ので、人々はそれを「東坡肉・トンポーロー」と名付けたほどでした。


あるとき、左遷された先で、土地の人が蘇軾にこう聞いたそうです。

「先生、こんな田舎に左遷されているのに、どうして先生はそんなに毎日楽しそうなんですか?」

とっても失礼な質問にもかかわらず、蘇軾は微笑みながら答えました。

「どこにいようと、何をしていようと、私は楽しいんだよ」

以上は、高校のときの漢文の先生から教わったエピソードです。

「諸君達はそうなれるか?」 

軍属として大陸を駆け回っていたという老先生は教壇で笑っていました。


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ときの皇帝が死に、蘇軾は赦免され都に帰ることが許されました。政界に復帰です。

いよいよ海南島を去るに当たって、こう詠みました。

  青山一髪是中原

和訳すると...

「はるか遠く水平線に青くかすむのが本土である」

...なんですが、和文ではなんとも締まりません。

漢詩の引き締まった精悍さが失われてしまいます。詩を原語以外に訳そうというのがそもそも無理なんですな。




  是中原

そこに込められた思いは、「その本土、その
大地こそがこの世の中心、そして私が仕事をすべき場所なんだ」だったのでしょう。


解釈しすぎですかね。


蘇軾は帰路、都・開封へ向かう途中で死にました。六十六歳のことだそうです。


++++++


vito B color skopar 2,8/50 + fuji100
下に写ってるのが、ゴッセンの露出計、シックスチノ。
このカメラを買ったとき、おまけでくれたの。
いつでもどこでも大活躍ですよ。


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2017年4月28日 (金)

だって好きなんだもん

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この記事に載せた写真は、フォクトレンダーのヴィトマチック III b 型で撮ったものです。レンズは、ウルトロンの f2.0/50mm。

Voigtlander Vitmatic IIIb


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何がどう、だから何、というわけじゃないんだけど、このカメラは好き。しっくりくる。


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フィルムは、フジ・フィルムの業務記録用 ISO100を使っています。お値段が安いのです
ヽ(´▽`)/


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信頼のおけるいいフィルムだそうです。でも、僕はよくわからないけど。あんまし他のフィルムを使ってないのですね。



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voigtlander vitomaticIIIb fuji100

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2017年4月27日 (木)

O-さんのこと

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英文契約のイロハ、と言うよりも、事務屋の仕事のイロハを教えてくれたのは、上司の O-さんでした。当時
O-さんは40歳になったばかり、僕は25-6歳でしたから、もう30年以上になる。

僕としては感謝したし、職務を離れて個人的ないい関係を築いた/築けたつもりではいました。その後、転職を何度か繰り返しましたが、
O-さんが教えてくれたこと、そして、その教えを受けていたからこそ経験できたこと、それが全ての基礎になっている気がしています。

「コージロー、書類は美しく作るんだ」


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ただ、最初の転職以来、
O-さんとの関係は途絶えてしまいました。O-さんから教わった様々なことをその会社に還元できなかったこと、いわば「持ち逃げ」して転職してしまったこと、何よりも O-さんに転職の挨拶をきちんとできていなかったことが、後ろめたかったのかもしれません。



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その会社を辞めて数年してから、一度だけ
O-さんを街でお見かけしたことがあります。夜の街を向こうから歩いてくる O-さんを認めた僕は「回れ右」して逃げてしまいました。

今思い出しても恥ずかしい限りです。


申し訳ありませんでした。


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その後、僕もいろんな会社で、新入社員・若手に仕事を教える立場になってわかることがあります。

教えたことをタネにして、自分で伸びていく人、形通りのデッドコピーで融通の利かない人。教えたことなど全然無視するけど伸びていく人、無視した結果失敗ばかりする人。

ほんと人それぞれです。いろんな人がいる。

だから、新人教育や配属後何年か続く実務研修などで「教えること」「教えられること」なんて言うのは、ほんの「きっかけ」だけなんですね。きっかけにすらならないことも多い。

そうわかっていても、何年かに一度
は改めてO-さんへの感謝の思いを新たにします。

何しろね、書類をとじるときのホチキスの留め方が、未だに「
O-さん方式」だという始末でござるヽ(´▽`)/

書類は美しく作る。



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早春の京都白川。写真は、vito B color skopar 2,8/50 + fuji100
すごくいい色合いで好きだな。


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2017年4月26日 (水)

京都の日常・春天的京都

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四月も最終週、昨日の25日は、初任給をいただいた新社会人の方々も多いことでしょう。

寒かったりするし...

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スコン、と暑くなったりもする。

四月の京都。

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ソメイヨシノは終わったのですが、八重桜は盛り。ぷっくりとセクシー。

場所は、川端正面を上がったところ。


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東京の人間なんでね、卵焼きは甘くてどっしりしたものと思ってた。もちろん、だし巻きは知ってましたよ。でもね....

定食になるとは思わなんだ!京都に13年いて初めて食べたよ。

マヨネーズ、ドーンと。おれ、マヨネーズはほんのちょっとでいいのです。


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パンダ焼き〜〜〜?

三条会商店街の「たまや」さん。すごく美味しい。



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焼きそば定食〜〜〜?

東京のオトモダチには、文化的衝撃なお品書きでし。





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最近、ダンベルを軽めにセットし直しました。負荷は軽めに、軽めにね。


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そんでもって、またまた最近、「クール&ラム」シリーズがお気に入り。もちろんヴィトーくんもお気に入り。


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この赤ちゃんは、今ではもう還暦過ぎてるな。


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フジ、ツツジ、そしたら、アジサイ
ヽ(´▽`)/ 

ひまわりさんも控えてござる!





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奈良ホテル・廊下の備品も好き

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奈良ホテルの廊下のスチーマー式暖房器具。

2月末に一泊したのです。廊下のスチーマーが稼働していました。ちゃんと熱いです。

彫刻がステキ。



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消火器と一緒に設置されていたツルハシ。非常のときにはこれでドアーとかを打ち破るのでしょう。

何度も何度も塗られたペンキ
ヽ(´▽`)/


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奈良旅行では、デジタルのミラーレスカメラ、Olympus E-MD O-M10 が大活躍。そういや、フィルムカメラもオリンパスを持って行ったんだ!


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2017年4月25日 (火)

人間は気体にはならない

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今やってるンHKの朝の連続ドラマ「ひよっこ」(2017年前期)ですが、ネタバレにはならないと思うので言っちゃうけど、主人公は可憐な茨城娘、そのお父さん(推定40歳ちょい)が、東京に出稼ぎ労働に行った挙句....

蒸発しちゃうの。


ドラマのナレーションで解説されていたから、今じゃ通じないのかな「蒸発」ってことば。

怪奇大作戦なお話じゃないよ。



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「蒸発」って、ふらっと出てったっきりいなくなっちゃうことです。地方から都会に出稼ぎに来て、そのままいなくなってしまう意味です、というのがドラマでの説明でした。しかし、地方からの出稼ぎの方の失踪という文脈だけではなくて、一般的に:

「仕事を持ってる普通の大人の人が、事件に巻き込まれたというわけでもなく、突然何の連絡もなくいなくなってしまう、行方不明になってしまうこと」

という意味で使われていた・いる気がします。


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「主人は、朝、普通に会社に出かけたきりもう何ヶ月も帰ってきていません....」
「奥さん、ご主人は蒸発してしまったんですね...!」


ヤカンのお湯じゃあるまいし。



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僕の実家は新聞販売店を経営していました。大抵は若い大学生さんが住み込みで配達をしていたんですが、「専業」って呼ばれている新聞配達を主業にしている人も何人かいました。専業さんは住み込みではなくて、通いでした。

専業の「よしチャン」はヒゲヅラがチャーミングでちょっと北関東か東北の訛りのある明るい人でした。
当時30デコボコ、賄いのおばちゃんにいつも冗談を言い、皆を笑わせる快活な人でしたが...

ある朝、よしチャンが朝刊配達に来ませんでした。番頭格の主任の T さんがその穴を埋めて配達を済ませ、よしチャンのアパートに行ってみると、いない。

夕刊にも来ない。

「トンコされちゃったな」

主任の T さんと親父は苦笑していました。「トンズラこく・逃げ出す」を「トンコ」と言うそうで、たまにあることらしい。僕は気がつかなかったんですけど、うちでも何度かあったようです。

あんな明るい人でもトンコぶっこくんだ! と、ひとつ勉強になりました。



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「集金のカネ、大丈夫だったか?」
「はい、持ってかれてません」
「うん」


これでおしまい。でも、代配さん(代わりの配達の人)を見つけるまでがバタバタだったと記憶しています。

店はギリギリでやってるんでね、仕事を急に抜けられると困っちゃうんですよ。


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その後、何ヶ月かして...

リンリン、と店の電話がなって、僕が出ようとしたら、受話器を取り上げる前にすぐにベルは止まってしまった。

すると、主任の T さんが:

「お? よしチャンか? あはははは〜!」

店中、大笑いでした。それ以来、よしチャンの話題は出たことはありません。

僕も全然忘れていたけど、ドラマを見て思い出しました。

ドラマの時代設定は、東京オリンピック前夜の1964年のこと。僕が思い出したこの小さな出来事は、記憶は少し曖昧ですが、70年前後だった気がします。

70年前後の当時、東京では地下鉄の連絡通路とかいるホームレスの人たちは「コジキ」と呼ばれていました。
「ホームレス」という言葉が使われ始めたのは80年代を過ぎてからだと思います。コジキと呼ばれてはいましたが、別に通行人に物乞いをするわけでもないのです。単にホームレスな人々が、普通にいました。今も場所を変えてですが、普通にいますけどね。


東京なんでね、通行人に物乞いをしなくても、残飯を貰うえるあても多かったんですよ。分別ゴミ回収なんてのが始まる前、そこらの料理屋さんやレストランの生ゴミを綺麗に掃除する代わりに残飯をもらってたんじゃないかな、あの人たちは。

そんなのはなくなっちゃったよね。

多くは「蒸発」しちゃった人だったんだろうなぁ。消えてなくなりはせず、そこにはいたけどね。

三日やったらやめらんなくなるって言う。



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写真は、フォクトレンダーのヴィトーCLR(voigtlander vito CLR)にフジ業務用100を詰めて撮りました。


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2017年4月24日 (月)

おや? 落語家さんに...?

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似ている。先代・三代目金馬師。

奈良ホテルの入り口に140年前の創業時から鎮座まします。

「宮下ごあんなーい!」

冗談で書いてるけど、おでこの感じ、デッパなところが、そっくり、似てる....
ヽ(´▽`)/





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奈良ホテルのチャペル。





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奈良ホテルの廊下。絨毯の赤い照り返し
ヽ(´▽`)/


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奈良ホテルの朝ごはん。ここからわたくしの奈良漬人生は始まりました。

美味しかったんだものヽ(´▽`)/


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オリンパスのミラーレス・レンズ交換式カメラ、OM-D E-M10。
旅行では大活躍です。




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2017年4月23日 (日)

ラジオ体操・四月の悲しみ

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3月23日の記事:「ラジオ体操続いてますのよ」で悪い予言をしてしまいました。番組は二ヶ月に一度、偶数月に構成が微妙に変わるんですが、この記事にこう書いたんです。

「この4月からは新しい構成だな。体操のお姉さんも入れ替えがあるのかしらとワクワクドキドキです」



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ああ、なんと悲しいことでしょう....

女優のように端正な美貌と機械化猟兵のような正確な動きで大人気の、天井澤亜里沙(あまいざわ・ありさ)さんが、7年間の出演ののち、ご引退なさってしまっていました。




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天井澤さんだけでなく、松下亜美さんもです。松下さんは6年間のご活躍の後の引退です。


四月は残酷な月だ。

お二人ともお疲れさまでした。そしてありがとうございます。おかげさまで、ラジオ体操、ずっと続けてこれました。



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でも、原川愛さん(2014年〜)も舘野伶奈さん(2016年〜)もいてくれてはるから、まだまだ当分ラジオ体操・みんなの体操は継続いたします〜ヽ(´▽`)/

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写真は奈良旅行のときのもの。
奈良ではオリンパス E-MD OM-10が大活躍。


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2017年4月22日 (土)

雨とサクラとフミノさん

四月も終わりに近づき、昼間は暑いくらいなのに、夜になると肌寒い......

誰のせいでもない雨の夜。

見切り三割引のアメリカ産豚バラ肉のカタマリをつけダレに漬け込んでいると、ケータイ電話のベルが鳴る。

「コージロさん? 何してんの? こんな早くにもう寝ちゃったの? なんで電話でないのよ! 何回鳴らしたと思ってんの? あのね...」

フミノだ。こっちは手がベトベトだったんだよ....

スピーカーモードに切り替えて、iPhoneをキッチンテーブルの上に置く。

「あのね、こないだはありがとね。いいホテルだったし、アオイも喜んでたよ。ゴハン一緒に行けなくてごめんね、今度ごちそうしてね!カメラも借りちゃったし、マジ感謝〜! 135ミリいいね!使わないならちょうだいね。撮ったの何枚か送るから、ブログに載せていいよ!」

...あれ? 切れてる... いつもマイペースなんだから。

貸してあげたカメラはこれ。


P4120058Rolleiflex SL350 + Beloflex f2.8 135mm。


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この後、パソコンに送られてきたお写真。


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俺もこの135ミリ、もっと使おうっと。

あのさ、「このレンズちょうだい」って、フミノさん、いくらなんでも、ああた、そりゃ...ヽ(´▽`)/ゴメンネ





©写真:フミノ・F ©文章:旅芸人・tavigayninh・朽木鴻次郎
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2017年4月21日 (金)

そんな不便じゃないよ、な LV(ライトヴァリュー)方式

古いカメラでLV(ライトヴァリュー)方式なのは、面倒臭いとか、使いずらいとか、残念だ、という声を聞く。

P4150040retina iiiC の EV目盛り これで絞りが調整になる。


そうかな? そうなのかな?


僕自身もうせん「LV方式はめんどくさい」ってブログに書いてました \(;゚∇゚)/

こちらです。「Vito B ライトバリュー方式(2015.11.26)

だけどね、LV方式のカメラでありながら、シャッタースピードをまず1/60に決めておく、とか、絞りを5.6で行こうとか、そちらの方を先に決めてしまっているとLV方式カメラは使いにくい。

それは、シャッタースピード優先方式であったり、絞り優先方式の考え方だからです。

そうではなくて、LV(EV)からのアプローチをすると、あれ、便利! ヽ(´▽`)/... カナァ?



B0c60bafab954527a1f86fa854b171db露出計。EV(ASA=ISO 100のときのLV)が11をそれぞれ示している



露出計なり、体感なりで、LV(EV)数値を把握したら、まずカメラのLV(EV)数値をそれに合わせちゃう。そのときシャッタースピード数値、絞数値は忘れる、気にしない。


まずは、LV(EV)数値をカメラに設定するんです。



1de9f52d78124963a073705a8d197741Vito B の「ロック爪」押しながら回すと絞りとシャッタースピードは連携しない。


設定した後で、「背景をぼかしたいから、絞りを開けよう」と思ったら、最大の絞り値にダイヤルを回す。すると、LV方式のカメラだから、シャッタースピードダイヤルもロックされているから連動して動くので、シャッタースピードはそこまで気にしなくていい。


あるいは、遊んでいて動き回る子供の写真をぶれないで撮りたいから、シャッタースピードをあえての1/250にしよう、と考えたら、シャッタースピードダイヤルを1/250に合わせる。絞りダイヤルはロックされていて連動して動くから、絞りをそこまで気にしないでいいのです。

わざとアンダー気味に、暗めに写真を撮りたいなら、露出計のLV(EV)数値が11でも、12とか13とかに、カメラの方のLV(EV)数値を設定すればいいのです。

反対に「ゆるふわ〜」にしたかった、LV(EV)数値が11でも、8とか9とかに設定すればいいのですな。

LV方式は露出補正がしづらい、と言う意見も見ましたが、むしろ逆だと思うけどな。


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Vito B のレンズ胴鏡。赤い数字がLV(EV)数値。


この記事では、LV(EV)数値って書いています。

厳密にはLVとEVは違うのですが、ISO100のフィルムを使えば同じことになるので、この記事ではあえて突っ込んだ説明はしません。その説明をするとわかりにくくなるからね。

光の強さを数値化したものがLV(EV)数値 です。ただし、ある一つのLV(EV)数値でも シャッタースピードと絞りの組み合わせはいくつもできる。そして、その組み合わせの「群」というか「一連のパターン」は一種類です。

ISO100のフィルムで説明すると、晴天の昼間でEV15なら、「60-22、125-16、250-11、500-8」、と組み合わせの一群・一連は一義的に決まる。

朝とか晩なら、もちょっと暗い、光が弱いから、EV13とすると、組み合わせの一群・一連は、「60-11、125-8、250-5,6」です。

その上で、ここは絞り優先で、f2.0で行こかな、とか、歩行者に動きをつけたいから、シャッタースピードを遅めに1/30にしようかな、とか決めると、LV方式のカメラでは、絞りダイヤルとシャッタースピードダイヤルが連動しているから、さささっと合わせることができる。

カメラがLV方式であるのにもかかわらず、LV(EV)からアプローチしないで、 シャッタースピードからアプローチしたり、絞り数値からアプローチすると、使いにくいと感じると思います。

素直にLV(EV)数値からアプローチすれば、素直な操作だと思いますよ。残念でもなんでもないと思う。

そういうカメラなんだもの。



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レチナIIICの露出計。LV(EV)数値しか出ないのですね。


別に僕は、「LV方式がすごく使いやすくて、優れている」といいたいわけではないのです。

LV方式のカメラを使って、LVロックがうざい、使いにくい、ロックを工作して外してしまえ!、というのはちょっと違うのではないかなと思っているだけです。

...この記事を書いて、どっかで同じことを読んだな、って思って調べたらありました。

現代カメラ新書No.86 「ズイコー夜話 -オリンパスカメラ外史-」桜井栄一 昭和58年朝日ソノラマ pp.84-86。

「さて、ディッケルはこのLVの考え方を実用に供するためコンパーシャッターの大改造を行った」p.84

なるほど、このライトバリュー方式で、絞りとシャッタースピードを連携させたいがために、旧式の等倍の数値設定から、現在のシャッタースピード数値設定に変わっていったんだ!

「ライトバリューの導入を契機としたタイム(注:シャッタースピード)、絞り数値の倍数系列化や、その目盛りの等間隔化はその後のカメラの進歩に大いに貢献したが、ライトバリューシャッターそのものは過渡期の産物で寿命の短いものだった。特にダイヤルと絞りつまみとの結合には、実技上当初から疑問が持たれ、反対論者も多かった。私(注:桜井栄一氏)もその一人であった。だが、そんなことより、この時期特に取り上げなければならないのは、露出計連動の技術動向が、レンズシャッターの在り方に重大な転機をもたらしたことである」pp.85-86


やっぱり、LV方式のカメラは使いにくかったのかぁ????



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2017年4月20日 (木)

2月の京都とセルフポートレート

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この写真を撮ったのは2月のこと。2017年2月の京都の朝です。寒い。




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古い京町家を使ったフレンチレストラン。

あ!、のれんがフランス国旗なんだ。今気がつきました。



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三条通りの眼鏡屋さん。

ウィンドウは「ロ」の字型・真ん中に穴が空いている鏡、四角いドーナツの形をした鏡になっています。

お気に入りの緑色のマフラーを奈良旅行のときになくしてまったので、差し色は赤 
ヽ(´▽`)/


+++++


写真を撮ったのは、vito B color skopar 2,8/50 + fuji100


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2017年4月19日 (水)

自分を納得させるのには時間がかかるし、外野はうるさいし

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最終的に決断とは自分一人で行わなければならないものだ。そして決断の結果の責任を負う。

それを孤独というのだ。


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定年後や老後のことについて、いろいろ見たり聞いたり、考えてきたんですけど、こうしなさい、ああしなさい、オススメはこれです、あれしちゃダメですって、うるさいうるさいうるさい
(`Д´)


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特にお金関係の話がヒドすぎる。老後には三千万円ためてないとダメ、六千万円でも貧乏老人、いやいや一億円でも足りない、って煽る煽る。

アオって儲ける奴がいる。

僕はこれでも石油開発の事業計画予算の仕事をずっとやってたんでね、お得意のノウハウと現状認識のスキルをフル動員してみると....


お金の心配はしてもきりがないし、結論は出ない。なぜか? いつまで生きるか、それが分からないからだ。何が突発的に起こるか分からないからだ。

分からないことで悩んでもしょうがないのです。お金が欲しかったら働けばいい。

・命題:歳をとったら働けなくなる。なぜなら、身体が効かなくなって、頭もイカれてくるからだ。

そうだね。しかしですな......



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・対偶:働くことができるのは、若者である。なぜなら、若者は身体も効くし、頭もフレッシュだからだ。


これは正しいのか? 正しくない。対偶が間違っている。だから命題も正確ではないのだ。

当たり前だ。人生はいつの時点を切り取っても不安定で不確実で複雑なんだもの。

一つだけ確実なのは、人は必ず死ぬし、生きていれば老い衰えていく、ということ。ただし、それは50代・60代に突然始まることではなくて、生まれたときから始まっている。


キッチンタイマー、逆算式のストップウォッチのようなもんだ。悪いことには、何分と時間設定してあるのかが分からないようになっている。

若い頃には気がつかないだけなんだよ。

ある夜、鏡の中に突然老人を見つけるまで、
気がつかないんだ。

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ジャンクで買った「zuiko zoom 75-150mm」をOM-1 black に装着して、 fuji100を詰めて撮りました。望遠面白いですヽ(´▽`)/


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2017年4月18日 (火)

奈良旅行にオリンパスの35DC/ロモカラーネガ800

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二月の終わりに、奈良に行ってきました。一泊旅行です。クラシックホテル、築140数年だかの奈良ホテルに泊まりました。これがお目当の一つ。

上の写真は、フィルムカメラのオリンパス35DCにロモグラフィーのカラーネガフィルムISO800を詰めて撮ったものです。

奈良ホテルの廊下から庭をのぞんだもの。





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こちらは泊まった部屋のマントルピース。奈良ホテルは開業当時、各室にこのドイツ式のマントルピースを設置したのが「売り」だったらしいのですが、防災上の観点から、今は使えません。

雰囲気あります。




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ホテルの階段。


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奈良といえばシカ。おせんべいを持っていないときは、ホールドアップ、両手を上げて、「持ってないよ〜」というと、さっさと別の方の所に移動していきます。

シカさんもよくわかってはる
ヽ(´▽`)/


++++


オリンパス35DCは白革に張り替えました。天気も悪かったし、部屋の中・建物の中を撮るつもりだったので、使ったフィルムは高感度。
ロモグラフィ800です。(Olympus 35DC Lomo 800)


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2017年4月17日 (月)

コダック・レチナ IIIC (Kodak Retina IIIC)

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コダックのレチナ。

このカメラはレチナ・ シリーズのほぼ最終型の「IIIC」型です。

レチナ、ドイツ語では「レ・ティーナ」みたいな発音。真ん中の「ティ・ti」にアクセントがある。

5年前、2012年にはアップルが同じ「retina」という名称のディスプレイを発売しました。英語では「タナ」みたいな発音です。アタマの「ラ」にアクセントがある。

さてさて。


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レチナの誕生やら使い方やらウンチクやらはいろんな媒体にたくさん紹介されています。

要は、アメリカのイーストマン・コダック社が、欧州大陸に進出する企業戦略の中で、イギリスやらフランスやらに橋頭堡を築いていき、当然ドイツにも拠点が欲しい。

そこで目をつけたドイツの優秀な技術に投資する。逆から見ると、第一次欧州大戦の敗戦と世界恐慌で息も絶え絶えだったけれども骨太のドイツの技術者がアメリカの資本を利用してとても小型で廉価だが素晴らしいカメラを自分のやり方で開発して大成功を収めるというアメリカン・ジャーマンドリームですな。

まあ、今で申せば「ウインウィン」ですよ。 


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だけどね、大西洋を挟んでアメリカとドイツ、しかも1930年代のことだ。そうスイスイと行ったわけではないと思うよ。

1928年、46歳のナーゲル博士がツァイス・イコンから独立した翌年の1929年が世界大恐慌、ドイツではヒトラーが台頭してきているし、アメリカでも株の大暴落で街には失業者が溢れているころ。

米国イーストマン・コダックは1931年に博士の会社を買収してドイツコダック社が生まれる。


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イーストマン・コダックの創業者のジョージ・イーストマンは、ナーゲル博士の会社の買収の6年前、1925年、70歳のころには経営の一線を退いていた。とはいえ、企業戦略には関与を続けていたというから、買収自体については了解していたんだろうな。ただし、ジョージ・イーストマンは、脊椎管狭窄症という難病に侵されていて痛みに苦しみ車椅子の晩年生活だったらしい。

そして彼はドイツコダック創立の翌年の1932年、生涯独身を貫いて、77歳のときにピストル自殺を遂げる。

辛かったんんだろう......

「私のやるべき仕事は終わりました。もう(死を)待たなくてもいいでしょう」

と書き残して、自分で頭を撃ち抜いたという。


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1933年にはドイツで国民の圧倒的な人気を背景にヒトラーが組閣、翌1934年初代のレチナが誕生したのは、ヒンデンブルグが死んで、独裁者が誕生したその年です。

レチナは大ヒットして、コダックのフィルムは売れ続けた。ヒトラーと国家社会主義者どもは着々と戦争の準備を始め、同類の嘘つきスターリンと見せかけの握手をしたりしながら戦車と急降下爆撃機を沢山作り続け、とうとう1939年9月にポーランド侵攻。

周りの予想を裏切って、ドイツ軍はあっという間にワルシャワを陥とす。


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一方、米国は1933年に民主党のフランクリン・ルーズベルトが大統領に就任。大恐慌でどん底のアメリカ経済を、社会主義的なニューディール政策を断行して活性化を図りつつも、欧州ではドイツ、極東では日本の動きに目が離せないというややこしい時期ですよ。

満州事変は1931年(昭和6年)。翌1932年(昭和7年)が第一次上海事変。1936年には2.26事件だ。

つまり、世界中がキナ臭いころにナーゲルの初代レチナが発売され、売られていた。


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さて、レチナ誕生から5-6年後、ポーランド侵攻の1939年に話を戻すと、ヒトラーを甘く見て譲歩を重ねていたイギリスやフランスは、ポーランドがやられちゃったのにびっくりしてすぐに対独宣戦布告。

ところが、アメリカは伝統的にモンロー主義です。強い対外不干渉主義を貫いている。民主党のルーズベルト大統領はチャーチルを助けてドイツをやっつけちゃいたいんだけど....

「なして大西洋さをドンブラコと渡って、ドイツと戦争しなきゃなんねえだ? こないだもやったっぺ? またかよ? 意味わがんねだ?」

アメリカ国内世論と共和党がそれを許さない。

米国民主党政府は心情としては反ヒトラーではあるが開戦までには踏み切れないのです。



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当然アメリカ・ドイツの国家間のコミュニケーションは悪くなり、1939年のポーランド侵攻以来、米国コダックはドイツコダック社と連絡が取れなくなったみたいですね。

ドイツコダックからの財務報告が来ていないのですよ、ごめんなさいと株主に報告している財務諸表が残っている。


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欧州では戦争が本格化するにつれ、とうとうシュツットガルトのドイツコダック工場のカメラ生産は停止する。軍需光学製品製造に切り替わったんだろう。

それに先立って1936年には米国コダック本社も、その一部工場では手榴弾の製造を始めるなど、挙国一致の臨戦態勢である。


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ついに1940年にヒトラーは本格的に牙をむく。

今度はベネルックス三国からフランスを占領。イギリス軍は命からがらダンケルクから追い落とされるという、ドイツ軍の電撃的破竹の勢いですよ。

イギリスとソビエト・ロシアを除いて、ヨーロッパの文明社会はヒトラーと国家社会主義者のものになった。

極東の大日本帝国では、バスに乗り遅れるな、ヒトラーさんに続けよ続け、とばかりに頭に血が上った連中が盛り上がっちゃって、時勢も読めず、いや、読みすぎちゃって1940年に日独伊三国同盟を締結。

挙げ句の果てに1941年12月、三菱の風立ちぬゼロ戦の大群で真珠湾を奇襲する。


「ジャパン? それどごだ? 箸で飯食う東洋人か? なんと、ドイツ人パイロットさに飛行機操縦させていきなりハワイをだまし討ちか! そら許せねった!


真珠湾の不意打ちで、米国市民・オール・アメリカン・ボーイズのヤル気に火がついちゃった。もう野党共和党も戦争をすすめたい大統領に反対できない。欧州で対独、太平洋では対日宣戦布告を、ルーズベルトは嬉々として、いや、堂々と行ってしまう。

「ここより永遠に」、ってわけだ。


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ナーゲル博士が61歳で没するのが1943年のこと。ロンメルもアフリカで負けたし、スターリングラードでもドイツは敗退、博士は滅んでいくドイツ、そして、カメラを作らなくなった自分の工場をどう見ていたか。

ナチには協力的だったのか、反ナチだったのか......


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ノルマンディーにアイゼンハワーが15万人の若者を連れて上陸するのが博士の死の翌年1944年6月の荒天のこと。

遡って、太平洋では連合艦隊が絶対勝つはずのミッドウェーで、情報が漏れてたって、何したって絶対的な優勢を誇りながらまさかの大敗戦を喫したのが1942年。

それに続いて、当時は日米どちらの参謀の誰もその名も知らぬ遠きガタルカナル島で双方血みどろの殴り合いの死闘を繰り広げた結果とうとう日本は島を失う。

この辺から枢軸国側はだんだんと戦況が怪しくなっていきます。ドイツコダック工場があったシュツットガルトは、他のドイツの美しい都市と同様に、連合軍による空襲で徹底的に破壊された。


日本の都市はB-29が落とす焼夷弾で火の海にされ、8月の原爆の投下へと... もう嫌になる。


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連合軍の地上部隊がシュツットガルトに展開したのは、ヒトラーの崩壊に先立つ1945年の4月のこと。

ヒトラーが死んでドイツが降伏すると、シュツットガルトは西側で米軍軍政下に置かれ、コダックの工場も米軍管理となる。


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同1945年11月にはドイツコダックの工場ではカメラの生産が開始されたというから、そりゃたいしたものです。レチナ I 型の#010とか、レチナ II 型 の#011とか戦前のレチナと同型のカメラを部品をそこらからかき集めて作った。


米国コダック本社がしっかり乗り出してドイツ工場の統制を行い始める1948年まで、米軍が関与してレチナを含むカメラの生産を続けたそうです。

だからこの間に生産されたカメラは欧州のPX(米軍購買部)で軍関係者にのみ販売されていたらしい。


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ようやく#013(戦前の#148)の再生産がちゃんと開始されたのは1949年からのこと。

その後レチナシリーズは色々と進化をとげ、目測式からレンジファインダー式、1960年代半ばに一眼レフまで発売される。

ベルリンの壁が墨俣よろしくあっという間に出来上がるのが1961年。その崩壊が1989年。コダックの倒産が2012年、同社の年金機構による「コダック・アラリス」としての再生・再上場(NY)が2013年。

ドイツ・コダックAGの戦後はナーゲル博士のご子息が経営したとも。その後どうなったんだろうね。米国本社の直接管轄になったのか。

ドラマはあるが、戦争はいかん...



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距離計と露出計とがついている。

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距離計も露出計もないフォクトレンダーのヴィトー II 型(下)と比べてみました。レチナのがタッパがあるけど、サイズはそんなに変わらない。重いけどね。

ヴィトーのレンズはちょうどいいサイズの f3.5、このレチナには大きな f2.0 だから...

嬉しくでかい Eカップ、ちゅうか... ヽ(´▽`)/ウルセーヨ!



...この記事に載せた風景とかの写真は、レチナIIICで撮ったものです。フィルムはフジの業務用100を使いました。レンズが汚れていたのか、スキャナーの汚れか、変なスポットが出てしまいました。とりあえず他の不具合もないし、光線漏れもなくて一安心。



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